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2011年3月29日 (火)

ありがとうございました

 日本に帰国して1週間が経ちました。仕事にも復帰し4月からの新しいスタートに向けて準備が進んでいます。
 そんなバタバタした生活の中で。1週間前まで自分は「しらせ」の中で生活していた、その事が嘘のように思われる事があります。1ヶ月前まで南極にいた、その事が夢のように思われる事があります。
 あそこで、自分が感じたこと、考えたこと、日本に戻って改めて思ったこと。きちんと整理しなきゃと思っているのに何だか、考えがまとまりませんでした。じゃあ、学校の仕事をバリバリ頑張って、振り返るヒマがないほど忙しいのかというとそうでもない。あっけにとられて呆然としている感じです。(いつもぼーっとしていただろうなどと言わないこと)
 ブッダは悟りをひらいた後、しばらくは悟りの内容を他の人には教えないでいたそうです。きっと、自分の中で、何回も反芻(はんすう)して楽しんでいたんじゃないかなぁ。
 私も今の新鮮な気持ちを楽しみつつ、まずは自分の中で感想を再構築したいと思っています。

 それでも、今言わないといけないこと。
 私の南極行きを支えてくださった皆様、ありがとうございました。このブログにコメントを書いてくださった方、とても元気がでました。コメントを寄せてなくても多くの人が見てくださっているのは分かっていたので嬉しかったです。
 南極授業を行うためにも多くの人が協力してくれました。学校の同僚たち、教育委員会、旭山動物園の皆様、ありがとうございました。明日中等教育学校の生徒、いつも以上に整然とした動きで運営が完璧に進んだと聞きました。そして観測隊の人たち、とても楽しかったし勉強になりました。
 自分の夢を叶えるために多くの人が力をかしてくれる。世の中はそうやって動いているんだ、人と人との結びつきが大切なんだということを、人が住めないような大地で感じることができました。
 若い人たちにアドバイス。こんな事をやりたいっていう夢を表現することは大切かもしれません。きっと誰かが力を貸してくれます。口ばかりじゃ困るけどね。

 他にもたくさん、この旅の中で感じることがありました。それはまたどこかでお伝えしたいと思います。教員ですからね、まずは子どもたちに地球の楽しさを伝えていきます。ブログ上で私の事を知ってくださった方もいらっしゃると思いますが、きっと何か別の形でお会いできるでしょう。人生ってどこでどうつながるか分かりませんからね。

 あ、そうそう。ペンギンのつかまえ方っていうタイトルの責任はどうするのよっていう意見があるかもしれません。お教えしましょう。初級編ですからね。だれでもできる方法です。最後の写真を見て頂けたらと思います。

 これで「ペンギンのつかまえ方」はひとまず終了とします。4ヶ月間の応援、本当にありがとうございました。 
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2011年3月22日 (火)

遠足は家に着くまでが遠足です

 って、先生に言われたような気がする。だから、成田には着いたけど、もうちょっとブログを続けさせてくださいな。
 P3220009 私の実家は東京です。なので、本拠地の北海道に帰る前にちょっと、東京を歩きました。スーパー、大変な事になっていますね。カップラーメンが一部売り切れです。過剰な市民の反応の結果です。あーぁって感じがします、どうしてこの状況でも売れ残るカップラーメンがあるんだろうって。あ、間違えました。論点がずれてた。ちょっと、冷静になればいいのに。でも、過剰に反応する様子を見て、スーパーを歩くとがっかりムード?いえいえ、ニコニコしちゃいました。
 P3220011 カップラーメンの棚の頭上を見上げると、電灯が一部、消されていました。節電です。この大変な状況を乗り越えるために、みんなの工夫が始まっているのです。これはとても見ていて楽しいことです。乗り越えられない困難はない、といいます。みんなで作戦を考えて乗り越えられたら、これはすごいことです。日本にはまだ、「そこぢから」がかくされています。
 みんなで作戦を考えて乗り切るのは南極でもそうでした。だって、南極地域って初めっから状況がひどいんだもん。モノも時間もありゃしない。だからこそ、みんなで乗り越えたとき、メチャクチャ嬉しい気分になるのでした。
 そんな私ですが。実家に戻って、目一杯、買い占めをしてきました。ご免なさい。両親は歳をとり、車の運転もできません。息子が帰ったときに醤油や米など重い物をまとめて買わなくてはいけないのです。買い占めをやめる、その親切に参加できない人がいることは重要な事実です。
 思いやりは見えないけれど、思いやりの行為は目に見える。そんな宣伝が盛んに行われています。
 でも、目に見える行動だけが評価される世の中は危険です。

 

2011年3月21日 (月)

帰国しました

 20日朝、私たち観測隊をのせた飛行機は午後5時に成田空港に無事到着しました。これで私の南極の旅はおしまいです。ものすごく遠くて二度と行くことのできない地を旅してきたのですがその感想は、というとうまくまとめられません。写真を見直しても夢を見ていたような気持ちがしたりもします。まだ夢から覚めていないようなボンヤリした気分です。これから、整理をしていきたいな。色々な自分の中の変化。
 はっきりと分かりやすい変化、その1。当たり前のように一緒にいた仲間たちとの生活が終わったこと。空港で握手をして、さようならを言うときとてもへんな気分でした。よく考えたら、この4ヶ月。昭和基地を離れる日以外、一度も「さようなら」という単語を使っていなかったんですね。別れがない生活というのは変な世界ですね。
P3180067  そういえば、シドニーでこんな事がありました。観測隊のTシャツには肩のところに日の丸がついています。それを着て街のコーヒーショップにいったら店員さんに「We are with Japan.」って突然、言われました。
 最初、なんの事かよく分からず「ん?」という顔をしてしまいした(私の英語力の限界による)。
「一緒にいますよ」
 もちろん、シドニーと日本じゃ距離が離れているんですけどね。離ればなれでも一緒にいるよっていうのはとても嬉しい言葉でした。
 久しぶりに「さようなら」という言葉を使ったのだけれども、「さようなら」をすることとバラバラになることはちょっと違うのかもしれない。
 などなどと考えたのですがね。「さようなら」って言葉をつかっただけで違和感を覚えていたら、日本の通常生活への復帰は遠いかもしれません。もう、廃人?

2011年3月19日 (土)

航海の終わり

ガガガッと激しい音と土けむり。
「しらせ」の艦首から錨(イカリ)がものすごい勢いで海に沈んでいきます。
投錨(とうびょう)。

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これで私たち観測隊をのせた「しらせ」の旅はほぼ終えたことになります。
今夜一晩オーストラリア沖に停泊し、世界で最も美しい港の1つ、シドニー港に入ります。
ハーバーブリッジとオーケストラハウスは有名ですが、海から近づいていけるのは
私たちの特権かもしれませんね。

デッキに出て風に当たっていると、大陸の方から飛んできたのでしょう。
トンボが走り抜けていました。

「虫だっ!」

叫んだのは横にいた越冬隊員。
実に彼らは1年と4ヶ月ぶりに昆虫を見たのです。
虫で興奮しているぐらいですから、明日は車を見たら鼻血を出すかもしれません。
横断歩道が怖くて渡れなかった、というのは本当に聞く話です。
私も久しぶりに文明圏に入る準備。久しぶりにお財布を引き出しからだしたら、
千円札も入っていました。どういうわけかおもちゃに見えて仕方がありませんでした。
お金ってこんなんだっけ?いやいや、これがお金だ。と、自分に言い聞かせてました。
お札はただの紙切れですが、「これが価値のあるもの」という約束をみんなで
信じているからお金なんですね。
明日は電車にのれるかしらん?

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「しらせ」の旅はほぼお終い。と書きましたが、訂正。
私たちはシドニーから飛行機で帰ります。
でももちろん、「しらせ」にはシドニーから日本に帰る航路が待っています。
そして観測物資をおろしたら休む間もなく、震災地への派遣が検討されています。
「しらせ」とその乗員は全力疾走でがんばってくれます。

2011年3月15日 (火)

情報

東北地方を中心とした大きな地震は、想像を絶する被害をもたらし、今も安否確認すら
できないでいる人が多いとの連絡を受けました。被害に遭われた方々に、心より同情
申し上げます。

私たち、しらせに乗っている人間は困っています。情報が少ないからです。
テレビやラジオはないです。インターネットは技術スタッフが急遽、開いてくれた回線で
ちょっとずつダウンロードしています。

短くまとめられた文章だけのニュースをみんなで回覧して読み、そのたびにため息をついています。
でも、どの紙を読んでも結局は、「何が起きているんだ?」と話し合うことになります。

今、日本と私たちは1万キロぐらい離れています。
情報を得たからといって何ができるわけではない。でも、それでも何か知りたい。
その願いも叶わない今、私たちの無力さを感じてしまいます。
情報を得るということの重要性をこれほど感じたことはないでしょう。

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こんな事を書いていて、思い出したことを一つ。
私が小学生の頃、外国で起きた人身事故を伝えるテレビニュースで
「この事故で日本人の犠牲者はいませんでした」という言葉に違和感を持っていました。
このことを母に言ったとき、普段は的外れなことしか言わない母ですが、このときの言葉だけは
感じ入りました。

「現地に身内がいるような人にとって、この一言がどれだけ待ち遠しいと思う?
このアナウンサーは、外国人が犠牲になったのが嬉しくてこんな事を言っていると思う?
この一言で救われる人たちのためにできる、アナウンサーのできる限りの情報なの。」

情報とは受ける人によってその価値が全く違ってくる、そういうものなのです。

2011年3月 9日 (水)

氷山の一角

今日の1枚目の写真。

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ペンギンが休憩しているのが氷山のなれの果て。
その後ろが、何だっけ?はい、前回の授業ででましたよ。
復習。蓮の葉氷ですね。これ、テストにでますよ。(何の?)
蓮の葉氷はさらに海水が凍って大きくなり、流氷になるのでした。
海の水がどんどん凍っても氷山にならないのがミソね。
で、先日は氷山のふるさとに行ってきました。
アメリー棚氷と名前がついています。船から見ると長大な氷の壁。
信じがたいですが、高さが40mあります。
ってことは、全力疾走しても6、7秒はかかる。

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最近、腰痛になった酒井だったら40秒はかかる距離の氷が縦にあるのだ。
すごいなぁと思った人は、まだ甘い。
この海面下にはもっと巨大な氷が隠れているのです。
海面上の高さの10倍くらい。はい、計算。全部で何m?これもテストに出すよ~。
水面下に400m。そんなにあったら、海底につかえちゃう、と心配する人。
その通り。つかえている間は流れませんが、このままズンズンと海の方に押し出されて、
海が十分に深くなったら、ポキン!と折れて氷山のできあがりです。
つまり、この40mの壁の向こうには膨大な、それこそ想像もつかない量の氷が、
氷山予備軍として出発の日を待っているのです。

やがて、氷山は海流にのって旅をしながら小さくなっていきます。
海流に乗るのはいいけれど、あまりにもでかいと、その海流がせき止められるかもしれない。
巨大な氷山は海流の流れをかえ、結果的には気候を変えてしまうかもしれないと考えられています。

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そういえば、子供の頃、でっかい氷山を船で引っ張っていって
砂漠地域に水やりをするって計画があったけど、どうなったんだろう。

2011年3月 5日 (土)

ゆるさん!

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私は今、とてもイヤな気分です。
たぶん、私だけじゃない。「しらせ」にのる全員ではないか。
何にそう憤っているか、それはミーティングの時のお知らせです。

「本日、時間帯変更があります。23時が24時になります。」

つまりです。昭和基地は日本より西にあるから夜明けが遅れてきていたのです。
時差だね。6時間。で、今、日本に近づいているから朝が来るのが早まる。
そんなわけで時計を早めろ、というのです。
早めたら、一日が23時間になってしまう。当然、削られるのは睡眠時間。
そりゃ、イヤな気分になるというものです。

あ、今、1時間ぐらいでガタガタ言うなって思ったでしょ。おまけがあるのです。
時間帯変更は2日連続で行われたのです。緯度にして15度動くと1時間変更ですが、
極域では15度なんてあっという間に通過してしまう。
だから連続技なのです。これでは睡眠不足になってしまう。
極端な話がです。南極軸の周りでぐるぐる回ったら、どんどん時間帯が変更になってしまう。
つまり1日の長さを短くできるわけだ。
ということは、どんどん日が進んで、年が進んで、高齢になると言うこと?
などと考えていると頭がこんがらがって、意識朦朧となり意外と早く寝付ける。良かった。
いやいや、そんなことを言っている場合じゃない。私は睡眠不足になりそうだ。
と一人で憤慨していたら、あっさり言われた。

「来るときは1日25時間生活を堪能していたんだから、文句を言わない!」

写真:蓮の葉氷っていいます。これが成長して流氷になるのだ(南極海はこれからが冬)。
かわいいと見るか気持ち悪いと見るか。早起きして日の出の写真を撮ろうと思ったら、
とっくに上っていた。

あ、そういえば、そうだった。

2011年2月28日 (月)

困難

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帰りの「しらせ」は今、穏やかな海を順調に進んでいます。
船の中は、観測活動などの話で盛り上がっています。
「S16(まさに氷河の真上につくられたベースキャンプ)、メチャクチャ寒かったね。
焼きそばを作って、座って食べようとしたら凍ってんだもん。餓死するかと思った。」
(酒井は行っていない)

「あの嵐の時さ、僕らが入っているテントがだよ、風で持ち上げられて40cm動いたんだから。」
(酒井はこのとき、昭和基地の丈夫な建物の中でぬくぬく寝ていた)

「足をくじいて動けないのに、どんどん視程が悪くなって、ヘリの出動を要請するところだった。」
(酒井はやっぱり昭和で寝ていた)

みなさん、その他にも口で表現できないような恐ろしい経験をしているのです。
でも、ちょっとそんな話をする姿がうらやましい。
ここで格言。

「困難は苦しいほど、思い出すときに愉快である。」

卒業の時期ですね。
新しい世界に飛び出すと、色々大変なことが降りかかります。
でも、どんな事にも終わりはある。(あ、これも覚えておくべき格言ね。)
苦しい時期が終わってそれを思い出すとき、きっと良い思い出になっているんじゃないかな。
苦しいときに視点を変えるのは難しいことだ。
でも、困難をのり超えて元気に活躍している将来の自分の姿を思い浮かべると、
がんばる力がわいてくるかもしれません。

そこで、酒井は今、心が揺れているのです。
このまま、平穏な航海が続いてほしい。
でも、内心、横揺れ30度の猛烈な嵐を経験してみたい気もする。

2011年2月27日 (日)

3D!

完全地デジ化、カウントダウン企画! とは関係ない。
フル規格ハイビジョンに迫る勢い、を見せないローテクでお贈りするこの映像。
なんとか南極の迫力をお伝えしたいという心ばかりの、脱力、もとい。
迫力映像をお楽しみください。

【南極 3Dの楽しみ方】

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特別なゴーグルのようなものは必要なしです。先端技術ですから。
下敷きかノートをご用意ください。
写真をクリックすると、大きくなります。
黒い縦線上に下敷きを縦に置いてください。
そのまま、顔を近づけると、右目は右の黒い点だけを、左目は左の黒い点だけを
見ることになります。
で、遠くを見る気持ちで目の力をちょっと抜くと(これは慣れが必要です)、
2つの点がだんだん近づいて、最後には重なると思います。
この練習ができたら、そのまま上の写真を見てください。
2枚の写真が重なってピントがあえば、立体的に見えると思います。
黒い点が、だいたい左右の目の離れた距離になっていると見やすいと思うのですが、
うまくいかない時はワープロソフトなどに貼り付け、大きさを調節して見てください。

1枚目:最近、見かけた大氷山。高さは100m以上と見られます。
2枚目:酒井が、南極で一番のお気に入りの場所。12月頃の記事で水くみをした場所です。
3枚目:氷河により削り取られた地形。すっかり小さくなった氷河が残っています。

2011年2月25日 (金)

くじら

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今日も艦内放送。南極をでてから、妙に見所満載の帰り道です。

「右舷至近距離にクジラ」

実は昨日、「右舷2000mにクジラ」という放送があったのですが、
「それはサンコンさんでないと見られないだろう」ということで、
みんなやる気がでない一コマがありました。でも、今日は至近距離。
大急ぎで右舷に集合。

本当に至近距離でした。艦尾から艦首にゆっくり船を眺めるように
移動していきます。クジラの息づかいが聞こえる距離。

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艦首をぐるっと回ったところで胸びれをふって去っていきました。挨拶?
その日のお昼。変わった話を聞きました。
クジラの出現の前に「しらせ」ではある作業が行われていました。
二年前に海底に沈めた圧力計の回収です。
だから何?
圧力計は回収時にプログラムに従って音を出す仕組みになっています。
科学者はそれを聞いて圧力計の場所を探します。

音。くじらも水中で声を出す生物です。
回収作業とクジラの出現、そこには何か関係があるのでしょうか。
というお話。

実の所、詳しいことは全くわかっていません。音は関係しているのかどうか。
もしかしたら、クジラとコミュニケーションができるかもしれない。
でも、逆に好き勝手に音を海中で出したらクジラに迷惑をかけるかもしれない。
大事な事は冷静に関係をしっかり調べること。

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